生涯剣道

大谷 正俊先生

 第19回は大谷先生です。先生は平成19年にご勇退されるまで全剣連の要職を努められて剣道発展に寄与されました。(全剣連ホームページ・寄稿「まど」平成19年8月号の「主要人事の概要」ご参考)
現在は平成23年に就任した東京都なぎなた連盟会長としてご尽力されており多忙な先生ですが、地元では子供達と剣道を楽しみながら指導され元気に活動されております。

1. 剣道を始めたのは何歳ごろですか?、動機は何でしたか?

 剣道は大学入学を機に始めました。父親の勤務の関係で旧満州で終戦を迎え、帰国したのが10歳の時。父親が若い頃剣道を多少たしなんでいたこと、終戦、引き揚げに際して子供なりの苦労や不安感の経験から大学に入ったら剣道をと心に決めておりました。

2. その頃の剣道具や稽古法、稽古内容は現在と違いますか?

 入学は昭和30年、剣道部復活2年目とのこともあり、稽古着、竹刀のみ自分で用意、防具は戦前のOB達が疎開させておいたものを交代で使うなどしました。
師範の先生と、数人の上級生の指導で竹刀の持ち方から教えていただいた。道場は戦前からの立派なものが残っており、半年後には人数の関係で対外試合に駆り出されるなど、大事な切り返しや基本稽古も不足して後々まで上達に影響したように感じています。
本テーマから外れますがひと言触れることをお許し下さい。大学剣道部に「鹿島神伝直新影流」が伝承されており、長年にわたり先輩から後輩へと伝えられてきておりました。現在も学生、先輩の有志達により続けられております。私も週イチ「法定」を中心に稽古に参加しております。

3. 子供の頃の稽古量はどうでしたか?、現在と比べて違いますか?

 上記のように子供時代は剣道未経験でした。しかし、時代背景、地域性から遊びは棒切れを振り回したり、野山を駆け巡ったりが盛んで、静かに読書や、机に向かう習慣があまりなかったことが剣道に興味を持った一因かとも思われます。

4. やめたいと思ったことありますか?、続けられた要因は何ですか?

 卒業後も剣道が続けられる会社を選びましたので、やめたいと思ったことは無かったと思います。
仕事の都合と称して、30代前半から10年程は月イチ程度だった時期もありましたが、剣道を通しての交友関係が仕事上のストレスを解消するなど効果も大きく、続けられたと感じております。
またそのご縁で全剣連をお手伝いする羽目になり、多忙ではあったものの大変有意義な剣道人生を経験させて頂きました。
熱心に稽古を続け、続けられた最大の要因は「剣縁」ですね。稽古の後のあの一杯!

5. 得意技は何ですか?、また稽古で心掛けていることは何ですか?

 稽古で注意していることは呼吸です。腹式呼吸をすること。短い吸気、長い呼気を心掛けております。攻めを強めつつ先に打ちを出さない(相手に先に技を起こさせる)ことに努めております。が仕損じることが多い現実はいかんともしがたい状態。

6. 忘れられない一本があったなら、それについて教えてください

 会社での剣道では監督とか応援団が専らで、地稽古中心の剣道に終始しておりましたので憶えてるものはありません。

7. 大きな影響を受けた先生や恩師と慕う先生について教えてください

 剣道を始めたときの先生は本間七郎先生でした。 先生には全くのゼロから教えを受けましたので「遠山の目付」や、相手を円の中に閉じ込める様に見なさい、など記憶に残っております。
卒業後は会社では羽賀幸雄、藤田武雄両先生に日立鉱山在勤中指導を受けましたが、以後は特定の先生にはつきませんでした。
東京に戻りましてからは、佐々木陽信先生、武安義光先生や、多くの方たちから剣道のみならず多くのことを学ばせて頂きました。
全剣連に関係しておりました時期は時に剣道ご専門の先生方に稽古をつけていただいた事が貴重な経験になりました。

8. 座右の銘があれば教えてください

 「剣縁」
 「礼に始まり、礼をもって行い、礼に終わる」
 「子供叱るな来た道じゃ、年寄り嫌うな行く道じゃ」(弘法大師)
 「心こそ 心迷わす 心なれ 心に心 心許すな」(沢庵和尚)

9. 是非お勧め!という本があれば紹介してください

 月刊誌「選択」

10. 最後に子供達へのメッセージをお願いします

 剣道は子供から年寄りまで、男子も女子もいっしょに稽古することができる数少ない運動競技です。烈しい稽古を通して相手を思いやる、感謝する心を養い、気力、体力、知力ともに強化する。
辛い、哀しい時があっても、嬉しいこと、楽しい時もたくさんあります。これからも一所懸命稽古を楽しみましょう。