生涯剣道
宮田 考志先生
第6回目は中央剣道会の宮田考志先生にお願いしました。剣道を始めた頃のお話から、現在指導されている子供達に対する思いまで書いて下さいました、
そして先生から「葉隠」の本をご紹介いただきました。武士の心得から、現代にも通ずる事がたくさん書いてあるそうです。これは読んでおく必要がありますね。
私が剣道を始めたのは中学に入って、部活として始めてからである。なぜ剣道部を選んだかは余りよく覚えていないが、なんとなく格好よさそうだなと思ったのと、 その当時流行っていたアニメ(ハリスの旋風)の影響だったように思う。入部当時は、基礎体力作りと、防具を付けづに基本の繰り返しで、防具を付けたのは真夏の猛暑の時期で、 初めて面をかぶった時はとんでもないことを始めてしまったなとやや後悔した記憶がある。
中学時代は、専門の師範がいたわけでもないが、試験休み以外はほとんど休むことなく稽古に参加し、基本、打ち込み、掛り稽古を繰り返し行ったことが、現在の自分の剣道の基礎になっているものと思う。
その後、試合で勝つ喜びも覚え、高校でも迷わず剣道部に入り、インターハイには出場できなかったが、東海総体には出場することが出来た。高3まで剣道部を続け、受験を機に剣道から離れることとなった。
大学は、第1希望の1期校の受験に失敗し、2期校に進むこととなり、そのせいか入学当初はなんとなく目標の無いまま過ごしていたが、何かやらねばと思ったとき、自然に足は大学の道場に向かっていた。
入部と同時に、新歓合宿、東海学生剣道新人戦と続き、この試合が私自身最も思い出に残る試合となっている。同級生の粒も揃い、1年生5人のチームで、私は大将として出場した。組合せにも恵まれ、順調に決勝戦までコマを進め、決勝戦の相手は強豪中京大学などを倒してきた東海大学海洋学部であった。
東海大学はその年に東海学生剣道連盟に加盟したため全部員に出場資格があり、4年生までを含めたベストメンバでの参加であった。結局決勝戦にも勝利し、私自身も大将戦2回を含め5戦全勝で優勝に貢献することが出来た。
後日談になるが、驚くことに決勝で対戦した東海大の大将が、後に映画の「花の応援団」の主役に公募で抜擢され、結果として私はあの「青田赤道」と剣道の試合を行って勝つという貴重な体験をすることとなった。
大学4年まで剣道を続け、全日本学生剣道優勝大会への参加も経験することが出来たが、卒業後は、ソフトウェア開発という仕事の忙しさもあり、10年近くはほとんど竹刀を握る機会は無かった。
調布に移転し、市報で剣道教室の記事を見、西調布体育館へ見学に行ったのが剣道再開のきっかけとなった。その後は、土・日曜日を中心に、先生方や多くの剣友、子供たちとの稽古を続け、いつの間にか20年を超えていた。振り返ってみると、常に多くの周りの人に恵まれて今の自分がいること、そして、続けることの大切さを改めて感じる次第である。
何か剣道に関する本を、との依頼である。時代小説は好きで種々読んではいるが、ここでは「葉隠」を紹介してみたい。それほど詳しく読んだわけではないが、この本は、江戸時代に佐賀鍋島藩の山本常朝という人が武士の心得について語ったものをまとめたものである。
「武士道というは死ぬことと見つけたり」という言葉や、あの三島由紀夫が愛読したことから、過激な書物と思われがちであるが、実際は、上役からの酒の誘いを断る方法や、部下の失敗を巧く手助けする方法など、当時の城勤めをするうえでの心構えを書いたマニュアルのような書であり、我々会社勤めの者が、現代においても参考になることが多く書かれている。そんな中で是非紹介したいと思ったのが次の言葉である。 『修行に於いては、これ迄成就といふ事はなし。成就と思ふ所、その儘道に背くなり。』 つまり、“修行には終わりが無く、これで成し遂げたということは無い。終わったと思えば、その瞬間から停滞が起こり、堕落が始まる。”といったことを諭している。 これと同様なことを母校の剣道部の道場訓では次のように簡潔に表していた。『剣の道遠し、ただ修行あるのみ』。
現在、年長から小学低学年の子供たちを中心に初心者の指導を担当している。今後、それぞれの子供たちが様々な剣道人生を歩んでいくことであろうが、皆が末永く剣道に親しんでいってくれることを願う今日この頃である。