生涯剣道

草野 淳先生

第11回となる今回は、中央会でご指導いただいています草野先生にお願いしました。学生時代は柔道をされ、31歳の時から剣道を始められたそうです。そして現在七段をおもちです。大人から始められた方だけでなく、皆さんに通じることを書いていただきました。

1.剣道を始められたのは何歳の時ですか?またその動機はなんでしたか?

剣道を始めたのは31歳からです。剣道はめったに取り上げてくれないテレビで、阿部三郎・小森園正雄両先生の立ち合いをたまたま拝見し、その姿の美しさ、味わい深さにあまりにも感動してしまい、矢も楯もたまらずこの世界に飛び込んだのが、30を過ぎた年で竹刀を握るようになった動機です。それにしても、性来が慎重派なのに決断できたのは、高校・大学時代を通して柔道に熱を入れていた下地があったからかもしれません。

2.その頃の稽古法や稽古内容を教えてください。

手ほどきを受けたのは調布市・染地にあった至誠館道場の先生方からで、最初の半年間は防具を着けずに、剣道のイロハからみっちり教えられました。稽古が終わると、小学生たちと一緒に、ちょっとばかり切ない気持ちで雑巾掛けもした思い出があります。

3.剣道をやめたいと思われた時期はありましたか?

年令での遅れと、仕事の疲れを引きずっての稽古はつらいものでしたが、やめたいと思ったことは一度もありませんでした。むしろ稽古のあとはいつも「ああ、今日もやってよかった」との感慨に心洗われる思いでした。その支えになったのは、剣道への熱い思い入れと、少しでも向上したいという内なる情熱でした。それは今なお少しも変っていません。

4.忘れられない一本はありますか。

「忘れられない一本」などとは、剣歴浅い自分にはおこがましい気もしますが、60代後半の頃だったか、ある合同稽古会で基立ち8段の先生に「最後に一本」と言われ、気を詰め集中して放った面一本が決まり、あとの礼のときに「お見事でした」とほめてくださったことがありました。不純な心を持たずひたすらひた向きに無心で打って行ったのが、剣の理合いにかなっていたのではないでしょうか。

5.恩師と慕う先生はどのような先生ですか。

早稲田大学の剣道部で長いこと学生たちを指導された故大島宏太郎先生が私には恩師のような存在でした。先生には、私が30代半ばから60過ぎまで勤めの帰りに通い続けていた「朝日剣友会」(新宿にあった朝日生命本社内道場)で30年近く教えを受けました。稽古に厳しく、剣の理法にやかましい先生でしたが、仕事を抱えた社会人の剣道修業に理解深く、独特の哲学を持っておられ、私にとっては剣の教えにとどまらず、人生全般の師でもありました。

6.稽古の中で特に工夫されていることを教えてください。

もう果敢に飛び込めなくなった70代の稽古として、この頃特に留意・工夫しているのは、まず手元を上げないこと。手元を上げさせられたら打たれたも同然、といつも自分に言い聞かせ反省しています。相手を引き出して打つ、ということも今の自分のもう一つの課題です。「攻めて溜めて打つ、いや実は見て、待っていただけではないか」と自省を繰り返しては悩んでいます。左足、右足への重心の配分も工夫し、いかにして無理なく右足を踏み出せるか、努力しています。

7.「座右の銘」を教えてください。

晩年の座右の銘は「只、今の一念を空しく過さず」残り少ないはずの余生ですので、剣の修業・稽古だけでなく、日々の生活全般の信条でもあります。

8.剣道関連の好きな本をご紹介ください。

印象深く読んだ本は「剣道は面一本!」(別名「冷暖自知」:小森園正雄剣道口述録、大矢稔編著)=体育とスポーツ出版社。 奥深い剣の技法と理合を説いたすぐれた書だと思います。

9.最後に今の調布の子供たちにメッセージをお願いします。

調布の小・中学生剣士の皆さん、人生を心豊かにしてくれるものは、なにも剣道だけではありませんが、なんといっても剣道は日本人の心のふるさとのようなものです。長く、できれば生涯、剣道を友にしてさわやかに生きて下さい。将来、勉強や仕事で忙しくなっても、細々ながらでもいいから、稽古を続けていくことが大切だと思います。剣道には多くの人との出会いもあって、きっと楽しく幸せな、生き甲斐の一つになるはずですから。