生涯剣道

小林 八十男先生

第8回目の今回は、4月から中央会の会長兼、剣道連盟の副会長になられました小林先生にお願いしました。
小林先生のこれまでの剣道人生がよく分かる内容となっています。

1.剣道を始められたのは何歳の時ですか?またその動機はなんでしたか?

中学1年の2学期(昭和36年9月)からです。小学6年まで、周りの仲間を含めて町道場等もありませんでしたし、習い事は皆無でした。もっぱら、メンコ・ビー玉・草野球・防空壕・洞穴等の探検遊びなどなど、毎日が暗くなるまで遊びの連続でした。6年生の後半になりますと、誰からともなく中学に入学したら何か部活動に入部しなくてはいけないと言う噂が耳に入ってくるようになり、スポーツが出来るというわくわくしたものがありました。
いざ中学生になったら、何部に入部してよいものやら皆目見当が付かず兄が学生時代バスケットボールをやっていた事を小耳にはさんでいたものですから、訳分からず漠然とバスケットボール部に入部しました。一所懸命頑張っては見たものの、しっくり来ず嫌気がさしていた所、親戚で仲良しだった同級生が剣道部に入部しており、すごく楽しい部活だという勧めで2学期から入部したのが剣道を始めたきっかけです。

2.その頃の稽古法や稽古内容を教えてください。

私たちの年齢は、いわゆる団塊の世代でして生徒数が多く部活動もたくさんありました。したがって体育館はイモ洗い状態でした。剣道部と柔道部は授業が終わりますと、歩いて10分位の所に地元の警察署がありまして、そこの道場へ毎日通っていました。道場は、私達中学生が雑巾掛けをし終わった頃に、警察内の先生・地元の指導者・高校生が順次集まって来まして、切り返しと指導稽古をひたすらやった記憶があります。つい苦しくて、楽な先生に並んだり、多く並んでいる先生に並んだり、今私達が子供達に注意している事が、今考えると非常に反省致します。因みに顧問の先生は他の部活動との兼任で剣道の事は我々生徒に任せてくれていました。

3.剣道をやめたいと思われた時期はありましたか?

昭和42年に熊本から夜行列車に乗って約17時間ほどかけ就職先であります深川木場の材木問屋へ入社致しましたが、私はその日のうちに調布営業所配属となりまして市役所に転居申請をしその後延々と43年間調布住民となっております。剣道もその年に調布剣道連盟(当時は調布市が入ってませんでした)に入会しましたが、まだまだ若くいろんな事に興味がありまして、会社の先輩で冬山、岩登り等本格的に山登りをやっておられた方と、親しくなり20代前半は剣道より山登りに夢中になっておりました。
剣道の転換期は、私が26歳位の頃調布剣道連盟に新しい改革の流れがありました。当時は、三多摩剣道連合会が上部団体にありましたが、調布は役員の派遣等まだまだ未熟な団体でありまして上部団体から大変厳しい指導があり、組織の充実が急がれていました。当時の会長でありました渋谷孝麿先生が思い切った若手起用をなされ、石原・平原・小林・荒井・杉原等20~30代が訳の分からないまま執行部となり、自然に剣道からやめられない状態になったように思われます。もうひとつ現在まで剣道を継続している要因は、若い時から少年指導を任され、時間的束縛をされた事が現在の自分の為の剣道につながっていると思います。

4.忘れられない一本はありますか。

だいぶ以前の話になってしまいますが、毎年2月に行われます東京都剣道大会に於いて西東京剣連代表として出場した事があります。その時警視庁Aチームとの対戦がありましてポジションとか何回戦だったかは記憶にありませんが、私の対戦相手が現在教士八段で全日本選手権にも幾度となく出場した事のある寺地種寿先生でした。当然あっという間に2本負けとなるはずでしたが、試合開始直後無心に放った突きがまぐれにも決まって1本先取となった訳です。結果はどうなったかと申しますと、その後小手を取られすかさず引き面を決められて万事休すでした。初太刀の1本を無心で中心の突きを決められた事が思い出に残る1本であり、忘れられない1本であります。

5.恩師と慕う先生はどのような先生ですか。

中学生・高校生・社会人と、その時その時の指導者の先生方全員恩師と慕っておりますがその中で、昭和50年前後ですが当時四段を取得しておりましたがまだまだ未熟な剣道でして、ある日、調布剣連に福並と言う先生がおられまして小林君、明大前の日本学園で中心会と言う剣道教室があるが参加してみないかとお話をいただきました。当時少年指導を担当している事もあり、是非参加したい旨を伝えました所、中心会の入門が叶い入会させていただきました。四段でしたので当然防具を担いで道場へ伺ったんですが、当時の会長であられました範士八段鈴木幾雄先生から防具を着ける許しが出ず、当分の間先生とのマン・ツー・マン指導となりました。足さばき、素振り、切り返し、竹刀に向かって面の一足一刀の打突、まさに調布で子供達に指導している事をそのままやらされた訳です。君、子供に指導している場合ではないよ。自分自身もっとしっかり基本を勉強しなさいと言う事だったと思います。そのお陰で昭和53年に五段、58年に六段と失敗することなく合格する事が出来ました。当時の鈴木先生は剣道界では名指導者として高い評価を受けられておられまして、偶然での大先生との出会いで、初心者に対して正しい基本をしっかり身に付けさせる必要性を痛烈に教わりました。

6.稽古の中で特に工夫されていることを教えてください。

私の悪い癖で、右足で相手とのタイミングを計りながらの打突が多く、右足を前に出した時左足が伴って引き付けられていれば問題ないんですが、足幅が広くなっている状態が多いようです。その解消方法として左右の足の指先で床をかむような意識で構えるようにしています。(足に意識を持って上体の力を下に落とす)子供達を見てても足の構え、特に左足の引き付けの良い子は一足一刀での打突つまり、左足での踏み切り、打突と右足が床に着いた時と同時の打ちとなり上達が早いように思われます。それから段位が上がりますと皆さん切り返しとか打ち込み稽古など段々量が減ってきます。子供達に切り返しは、相手が見えるまで左拳を振りかぶって左右面を大きく打ちなさいと言いつつも、いざ自分の切り返しをビデオで見たら恥ずかしいものがあります。少年指導に携わっている先生方は恵まれています。子供に指導する事は自分に対しての指導でもあり、子供達は指導者の剣道をまさに鏡のように真似して行きます。指導者の責任は重大です。子供に指導している事が指導者も正しく出来ているか再確認して欲しいものです。

7.「座右の銘」を教えてください。

私は反省会の席等でよく使わせていただく言葉が「一期一会」です。国語辞典には、「茶の湯で、一生に一度だけ出会うこと。そのつもりで、悔いの無いようにもてなせと言う教え」と、書いてあります。人との出会いによって常に新しい発見があります。学校の生徒・先生、剣道の仲間・恩師、会社の同僚・上司いろんな出会いの中で自分自身の人間形成が成されてきてます。50年ほど前の話ですが、小学5年生の新担任の先生が高橋佳也という方で新婚ほやほやの20代中ほどの先生でした。悪がきで勉強嫌いの子供だったのですが、その先生は何しろ褒め上手で下手な絵でも、下手な工作でも先生の一声でだんだんと自信に繋がって来まして授業の楽しさを感じるようになりました。今でも先生に教わった5年・6年の2年間はあらゆることを記憶にとどめております。たとえば音楽鑑賞で聞いたビゼー作曲アルルの女・ドボルザーク作曲新世界等、先生の作った宮沢賢治的な探検童話は最初から最後まで鮮明に覚えています。その先生との出会いが、今61年間の私の人生で大きな人格形成になっていると思います。
話は変わりますが、5ヶ月ほど前に私達の中央剣道会にトルコからの留学生(研究生かな)バシャク・ユクセルと言う女性の方が体験入門のかたちで入会されました。4ヶ月ほどで調布を離れられましたが、バシャクに対して中央会の皆さんが大変すばらしい「もてなしの心」で接してくれてました。彼女にとってこの調布中央剣道会との出会いはトルコに帰っても一生忘れる事は無いと思います。これからも人と人との出会いを大切に生きて行こうと思っています。

8.剣道関連の好きな本をご紹介ください。

歴史小説が好きですので、剣道関連の本として紹介するものではないかも知れませんが山岡荘八の書いた「柳生宗矩」を紹介させて下さい。
剣聖柳生但馬守石舟斎宗厳の五男として生まれ、将軍徳川家康・秀忠・家光と三代の師範として見事に「剣禅一如」を成し遂げられた方です。全四巻ありますが、四巻の後半にこう書いてあります。「父の志をしっかり受け継いだ十兵衛が、慶安3年(1650)の3月21日その生涯を閉ずるまでに育てあげた門下の数は1万3千6百余人。それらの人々が日本中に散って、江戸期の武士道を完成させていったのである。」 今、日本人がもっている宗教的な感覚の武士道精神は彼らの血のにじむような修行の中で出来上がったものだと思います。

9.最後に今の調布の子供たちにメッセージをお願いします。

私は子供の頃からあまり体育は得意な方ではありませんでした。中学1年で入部したバスケットボール部を1学期で辞めたのも原因はそこにあったと思います。ただ、剣道を始めてからは辞めようと思った事は一度もありません。きっと私には不器用なりに剣道が向いていたのかもしれません。
剣道は昇段の制度がありますが、有難いことです。稽古の目標がもてます。少年剣士の皆さん、剣道に入門した以上、身体が動くかぎり辞めないで下さい。今、まわりには女性剣士や高齢剣士が大勢いらっしゃいます。きっと剣道にはいろんな魅力があるからです。