生涯剣道

鱒澤 仁先生

調布剣連では最も早くに七段となり教士号を取られた先生であり、先生方の先生として合同稽古では元立ちとなってご指導されています。第16回目は剣連の前会長で、現在は東剣連の理事としてご活動頂き、また剣連の顧問、ご意見番としてご忠言を戴いている鱒澤先生です。

1. 剣道を始めたのは何歳ごろですか?、動機は何でしたか?

 昭和31年、小学3年生(9歳)の時、茨城県勝田若葉会が非行防止の目的で第1期生の募集があり両親が応募しました。
動機は、当時は外で遊ぶのが当たり前、遊びと言えば野球とかベーゴマとかビー玉、他にも沢山ありましたが一番好きだったのは近所の友達とチャンバラで野山を暗くなるまで駆け廻ったりして遊んでいたのが何よりでした。
勉強はその暇を見てやってましたね(笑)。それを見かねた両親がおそらくですよ、暗くなるまで遊んでいたので少し抑制させる意味で応募したのではないでしょか。
それと母親の兄が仙台でが剣道をしておりその血をひいているから少しは上手くなると親バカ(私が思うにはです)が理由で勧めたと聞いてます。

2. その頃の剣道具や稽古法、稽古内容は現在と違いますか?

 戦後10年が過ぎて間もない頃でしたから物資に乏しく剣道具など持っていないし買えない時代でした。幸い私は近所のおじさんの使った竹胴の防具(当時は剣道具を防具と称してました)を頂いたので準備はできていました。しかし、週3回の定例稽古と夏は10日間連続の「土用稽古」、冬は10日間連続の「寒稽古」の周期でしたが防具は1年以上は着ける事が許されず物置に仕舞っていました。

最初に教えられたのは礼儀作法と道場・便所・庭等の掃除ばかりの毎日。特にトイレは便所と称するにピッタシの薄暗く臭く汚い所で、いわゆる3Kの「ぽっとん便所」でした。道場の広さは50坪位で床掃除は先輩の号令で雑巾がけを1列に並ばされ誰が上手に早く出来るか競争をしていました。これが唯一の楽しみでしたかね。が、冬はバケツに薄っすらと氷が張り、手がかじかんで力が入らず絞れなくそのまま雑巾をかけると床に薄氷が張り、足が何も感じなかったのはつらくて嫌だった。

学校が終わるとカバンを家に放り投げ一目散に道場へ行き掃除を済まし、稽古が始まるまでは道場で遊び廻ってましたね。一度、その度が過ぎて突然来た先生に見つかりこっぴどく怒られ泣いて帰されたのを思い出しました。(ヤンチャ坊主でしたからね)次に思ったのは、同期である中学生は体力があり覚えが早く既に憧れの新しい黒胴を着け(お金があった人達だけです)竹刀をビュンビュン振って楽しそうに(そう見えました)先生に掛っていたのを羨ましく見ていました。当然、正座をさせられてでした。

やっと4年生半ば頃から防具着装を許された1年半位は切り返しと打ち込みと掛り稽古ばかりでした、試合ができる腕前ではないし、いざ出場してもなんと帰宅時間が早い事!、持って行った昼飯を自宅で食べたこともありました。その位全然相手にされず鳴かず飛ばずの毎日でした。
やっと入賞できるようになったのは5年生半ば頃からでしょうかね。その辺から剣道が楽しく面白く夢中になってきましたね。

3. 子供の頃の稽古量はどうでしたか?、現在と比べて違いますか?

 土用稽古と寒稽古は賞品が貰えるので常に皆勤賞でした。定例稽古もあまり休んだ記憶はないですね。なんせ学校を休んでも稽古だけは休まなかった位ですから(笑)。
長い辛抱時間が多かったせいか試合に勝てるようになってからは「休めば遅れを取る!」その一心で稽古に励みました。今は無理せずに稽古ができる事の感謝を忘れないようにしていますしその気持ちは今も大事に思っています。
また、こんなこともありましたね。成人して間もない頃、会社の旅行で初めてのスキーに挑戦。その時、右足首を骨折してしまい一か月も稽古を休んでしまったのです。悔しくて悔しくて「もう絶対にスキーはやらない」と固く誓い今もズーっと守り続けています。

稽古量は今と比較すればどちらがいいのかわかりませんが当時は根性ありきの猛稽古、今はスポーツ医学を取り入れた淡白な稽古の違いかな。でも志を持っている人は両方を組み合わせて稽古量も増やしているで変わらないでしょうね。ただ言えるのは先生の情熱ある指導と親の愛情ある協力は今も変わらず全く同じです。私も父親がいつも稽古や試合に付き添い、試合などは率先して他の子供も一緒に連れて行き勝てば喜び負ければ励ましてくれて有難たく感謝しておりました。

4. やめたいと思ったことありますか?、続けられた要因は何ですか?

 やめたいと思ったことは一度もありませんでしたね。
骨折して一か月間休んだことに悔やんだ位ですから稽古を止める事などもったいなくて休めませんでした。幸いに私は大病したり大けがをして入院したことがないのでこの健康体に産ん下さった両親にはただただ感謝するのみです。

続けられている要因は、まず健康である事、剣道が好きになる事、家庭を大切にする事、礼節を守る事、人との付き合いを大切にする事でしょうかね。

5. 得意技は何ですか?、また稽古で心掛けていることは何ですか?

 50代の頃までは「面」にこだわっていて前に攻める稽古が主体で過ごしてきました。が60代になってからは「先をかけ相手を引き出して打つ」稽古に変えてみました。まあ体が動かなくなってきたこともありますが。剣先は正中線から外さず、身体は引かず下がらずにと心掛けています。当然、それでも打たれ場合は素直に認め、どうしたら打たれないようにするかを反省して何回も工夫してみる。出来るまでこれに時間をかけます。分からなければ「剣談清話」と言う本(後述の9項にて説明しています)を取り出し熟読すれば必ずヒントが出てきます。それでも分からないのが剣道ですので只管(ひたすら)稽古をするしかありません。

6. 忘れられない一本があったなら、それについて教えてください

 50代になってから試合数が減ってきて記憶に残るような一本は思い付きません。しかし、去年の調布市剣連創設60周年記念の試合で小林八十男先生と対戦して見事な「メン」を取られ負てけた事は鮮明に覚えています。
小林先生は「突き」の名手ですから当然想定していましたが「しばらく動きが無いな」と思ったその一瞬、虚を突いた所に「突き」が入り込んで来た。辛うじて凌いだ?、いや外れた。その直後、捨て身の「面」が電光石火の如く襲ってきてその一本を見事に決められた。観戦していた皆さんはまるで絵にかいたような大技の素晴らしい「メン」であったと思われたでしょう。
「ツキの直後はメン」が攻めの定石、これを判断できず冷静さを失った自分の反省を残しながらそのまま時間切れで「一本負け」を喫した。私にはこの「メン」が生涯忘れられない記念の一本であった。いい思い出を残していただいた小林先生には感謝です。

7. 大きな影響を受けた先生や恩師と慕う先生について教えてください

 少年時代は勝田若葉会の初代館長であった範士七段の根本正男先生です。私の今ある剣道の基礎を一から親身に教えて戴き、厚かましくも仲人もお願いしました先生でした。
又、今年終えた第30回立切誓願試合は若葉会が最初に始めて今でも各地でも催れていますが調布市もそれを受け継いで少しでも恩返しができればと継続させて頂いております。

上京してからは多くの剣友や先生方に出会い、叱咤激励され可愛がれてなんとか教士七段を賜りました。やはり洗心館の矢崎好夫館長との出会いがあり、その恩恵を受けながら範士八段の長崎稔先生に師事した事が今の剣風に結び付けたと思います。後に同じく範士八段になられた長内淳介先生著書の「剣談清話」が私のバイブルになっています。到底、長崎先生の足元にも及びませんが一つでも教えを蒙った物が出来たらと願いつつ今でも日夜研鑽しています。

8. 座右の銘があれば教えてください

 「継続は力なり」です。若い頃は、体の動きも良くて楽しく稽古ができるのが当たり前と思っていました。が50歳を迎えた頃から自分を振り返えってみて、ここまで来れたのは剣道が良い環境で健康で出来る幸せを感じ一日一日を大切にと思うようになりました。そして剣道全てに感謝しております。このような気持ちにさせていただけるのもこの座右の銘に私が活かされていると思っています。

9. 是非お勧め!という本があれば紹介してください

 私のバイブルになっています「剣談清話」です。
ここには剣道の技よりも人の心の動きで相手を制す裏話が多く書かれています。かと言って一回読んで「そうか解った!」とは簡単に行かないのです。
当時、長崎稔先生が稽古の後、一杯飲みながらご自分の経験の積み重ねたウンチクを語ってくださいました。それを長内先生がまるで速記者のようにメモに取りまとめ出版されたもの(後で知りました)ですが、その剣風はまるで狐につままれたようで何をしても通じませんでした。
そういう不思議な事が記されている本なのです。
自分もその年齢に近づき何度も読み返していくうちに幾らか理解できるようになってきました。しかし、実戦でそう簡単にはなかなか結び付きません。
なぜなら頭で剣道をやっているからです、心と身体でやらなければならないと自問自答をしながら稽古を重ねるしかないのです。何とも深味があり読み返すほど面白くなっていく本です。

10. 最後に子供達へのメッセージをお願いします

 なにも剣道に限った事ではありませんが、ご両親や先生の言う事をしっかり聞き「ハイ」と言える素直さを持つ、「礼儀(挨拶も含む)」を正しく行う、「絶対に嘘をつかない」そして「元気な子供」になってほしい。
これを身に着ければ大人になって自分を取り巻く人たちから尊敬され素晴らしい人間になる精神訓なのです。これは今始まった訳ではなく、大昔から大人達が自分の体験を活かして子供達に言い続け大事に守ってきた大切な願いなのです。